人間年を取るのは自然なことですが、すばらしく老いましょう

すばらしく老いる

 節分というのは各季節の分かれ目である立春、立夏、立秋、立冬の前日のことでした。つまり年四回あるわけですが、いつの間にか、そのうちの立春の前日だけが節分として取り上げられるようになりました。寒さの底が立春でこれから徐々に暖かくなる、つまり春の始まりであってそれが一年の始まりと感じられたのかもしれません。そして立春の前の節分は大晦日のように感じたのでしょう。
 立春から運気が変わるとも言われ、節分には各神社でも神事が行われてきました。京都で節分というと、京都大学の近くにある吉田神社が有名です。「つれづれなるままに」で始まる『徒然草』の作者として有名な吉田兼好は、この吉田神社の神職の家の生まれでした。

 兼好は鎌倉時代末期から南北朝時代に生きた人ですが、若いうちから出家したようです。そのため兼好法師とも呼ばれているわけです。
 『徒然草』は兼好が五十歳手前あたりで書いたものと言われています。歌人や学者としての能力もありますが、その優れた観察力を持って世の中を見た説話や雑感は今読んでも非常に面白く、納得させるものがあります。
 さて、その吉田兼好が『徒然草』に若者と老人との気質の違いを記した一節を載せています。若者の気質について要約すると

 若い時は血気盛んで、心が動かされやすく、欲望も多い。美麗なものを好んでお金をかけたかと思うと、それを捨ててみすぼらしい僧侶の格好をしたりする。心が勇んで、何かと争い、恥ずかしがったりうらやましがったりして、好みのものがよく変わる。また恋愛にはまったり、命を惜しまず、また命を失った人にあこがれて、思い切った行動にでて、世間の語りぐさになるようなことをしでかしたりする。そのような失敗をしてしまうのが、若い時の行動である。

 では、反対に老人の気質についてはこのように書いています。原文を見ますと
 「老いぬる人は、精神おとろへ、淡く疎かにして、感じ動く所なし。心おのづから静かなれば、無益のわざをなさず、身を助けて愁なく、人の煩ひなからん事を思ふ。老いて智の若き時にまされる事、若くして、かたちの老いたるにまされるが如し。」
 老いた人は気持ちが衰えて、淡泊でおそろかになりがちで、感情的に動くところがない。心は自然に静かなので、意味のないことをせず、我が身をかばって心配することなく、また人の迷惑にならないことを考える。老人が若者より智恵で上回ってることは、容貌で若者が老人より勝っているのと同じである。という意味です。

 人間不思議なもので、年を取ってもいつまでも若い頃と変わらないような気がします。私も四十歳を越えましたが、自分の気分としては、まだ二十歳の頃と変わっていないように思います。鏡を見れば確実に年は取ってるのですが、それもなんとなく認めたくなく、若いつもりでいます。しかし、外部から見れば明白であり、子供からはおっちゃんと言われ、お兄さんと言われることはもうないんだ、と認めざるを得ません。

 人は老いるのは自然であり、仕方のないことですが、よい老い方をしたいものです。吉田兼好もそのように思ったのではないでしょうか。『徒然草』の文では老いた人の気質の方が好ましいと考えているようです。血気にはやった若い時代を振り返って、いろいろと反省することがあったのかもしれません。
 兼好の言う、智恵の深さと心の落ち着き、年を重ねるのならばこの二つを身につけたいものです。


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<このページの筆者>
 中島隆広 : 出雲大社紫野教会、教会長
昭和46年京都府生まれ。名古屋大学経済学部卒業、会社員の後、パソコン部品のインターネット通販の会社を起業して経営する。会社売却の後、國學院大學神道學専攻科に入学し、神主となる。

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