勉強したり、新しいものを学ぶのに遅いということはありません

ものを学ぶのに遅いことはない

 子供の頃は勉強させられるのは嫌だったし、大学に入っても授業をさぼったり、なるべく楽に単位が取れる授業を選んだりしてたのに、社会に出てから働いたり、家事育児をしていたりすると、学問というものを突然したくなったりした、ということはないでしょうか。人間無いものが欲しくなるものですからこれもその一例かもしれません。
 かといって、年を取ってもう今さら、と思われるかもしれません。しかし、ものを学ぶのに遅いということはないと思います。
 江戸時代末期の有名な国学者で本居宣長という人がいます。宣長が初心者の門弟向けに書いた「うひ山ぶみ」という本の中で、このようなことを語っています。

 「つきつめて考えると学問は長い年月飽きず怠らず努力し続けることが重要で、学び方はどんなやり方でもよく、さほどこだわることはない。学び方が良くても、怠けて努力しなければ成果は出ない。
 また、人間の才能の有る無しによって、成果がかなり変わってくるが、才能の有無は生まれつきなのでどうしようもない。しかし、能力が高くない人でも、怠けず努力すればそれなりの成果はあげられるものである。
 また、遅くから学問を始める人も、努力すれば案外成果を上げることがある。また忙しくて時間がない人も、案外時間が多い人よりも成果を上げるようである。
 だから、才能がないとか、学び始めるのが遅いとか、時間がないことによって、気落ちしてあきらめてはいけない。とにかく、努力すればできるものを考えるべき。希望を失ってしまうことは学問ではもっともいけないことなのである」

 年齢が高くても、頭が良くないと思っても、忙しくて時間が無くても、努力して続ければ成果は出る、ということですが、ここでの学問は「国学」のことですが、他の分野でも同じ事だと思います。
 国学とは古事記や日本書紀を始めとする古典を研究し、仏教伝来以前の日本古来の文化や精神を明らかにしようとするものです。

 本居宣長自身も最初から学者であったわけではありませんでした。伊勢国松阪の商人の家に生まれますが、商人は合わず医者となり、そのかたわら国学の研究を行いました。また宣長は塾を開き国学を広めます。全国から集まった門弟は五百人弱。そして多くの著作をもうけますが、もっとも有名なのが古事記の注釈書である「古事記伝」です。実は長い間、国の正史である日本書紀の方が古事記よりもはるかに珍重されていました。しかし、これが逆転したのはまさに古事記伝の成果によるものでした。
 本居宣長が契沖や賀茂真淵という先人の業績を受け継ぎ、さらに発展させた国学は全国の武士、商人、豪農といった人に広まっていき、明治維新の原動力にもなりました。

 最近、神道に興味を持ち、神道を学んでみたいという人がかなり増えてきました。非常によいことだと思います。神道を学ぶことについて、遅いということはありません。ただ、「うひ山ぶみ」の中で宣長は「学問を始める際に、何から始めたらよいのかは、よく知っている人に聞くべきだ」と言っています。神社で神道を教えるといったことは今まであまりありませんでしたが、最近は神道についての講演や講座を行う神主が徐々に増えてきました。そのような神主について、学びを初めてほしいと思います。


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<このページの筆者>
 中島隆広 : 出雲大社紫野教会、教会長
昭和46年京都府生まれ。名古屋大学経済学部卒業、会社員の後、パソコン部品のインターネット通販の会社を起業して経営する。会社売却の後、國學院大學神道學専攻科に入学し、神主となる。

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