神道は祈願、そして感謝
神主になって、改めて日本の宗教というものを調べてみました。日本人が宗教に期待することは、ほぼ「現世利益を願う」ことに限られます。哲学や理論等にはほとんど興味がありません。戦国時代や明治時代に来たキリスト教の宣教師などは現世利益に徹する日本人の宗教感覚をかなり否定的に見ていたようです。日本人の宗教家の中にも、現世利益があると宣伝することはなんか品がないというか、下等であるという気持ちを持つ人がいます。そこで、理論を組み立ててみたりしますが、日本人にすると、理屈が完璧なものはかえって嘘くさく感じるようで、あまり支持されません。
私は堂々と現世利益を神に祈ればよいと思います。日本人は古来そうしてきたのです。 一年の安泰、今年の豊作、病気平癒などを祈ってきました。仏教を受容したのも国家の鎮護、民衆の幸福のためです。天皇、貴族が自分だけが解脱したいがために入れたのではありませんでした。「困ったときの神頼み」でもよいと思います。
ただ、願うだけでは片手落ちで、必ず感謝が必要です。祈願と感謝、この両輪がないといけません。その昔、船が嵐に遭い、今にも沈むかという状況に陥った時、乗っている人は全員神に祈りました。結局沈まずに無事に切り抜けて港に戻ってきましたが、その時には神のことなどみんな忘れていたようで、その筆者は憤慨しています。やはり、苦しいときは必死で願うが、あとは知らないというのではいけません。
祈願と感謝、どちらも強い気持ちが必要です。それが神の心を動かすのです。
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<このページの筆者>
中島隆広 : 出雲大社紫野教会、教会長
昭和46年京都府生まれ。名古屋大学経済学部卒業、会社員の後、パソコン部品のインターネット通販の会社を起業して経営する。会社売却の後、國學院大學神道學専攻科に入学し、神主となる。
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