自分の中の力を信じる
出雲大社に伝わる唱え詞に「神語」というものがあります。
「幸魂奇魂守給幸給(さきみたま くしみたま まもりたまひ さきはへたまへ)」
この神語は出雲大社のお祭りでは参列者全員が唱えます。最近は出雲大社以外でも大国主大神がご祭神であったりご縁がある神社で掲示されていたりもします。
ここに出てくる「幸魂奇魂」について、日本書紀では不思議な話が記されています。
大己貴神(大国主大神)は日本の国作りを終えられたとき、今この国を治めるのは私独りだが、他に共に治めるものはいるだろうか」と言われたところ、
「時に、神(あや)しき光海に照らして、忽然に浮かび来る者有り。曰はく、「如し吾在らず、汝何ぞ能く此の国を平けましや。吾が在るに由りての故に、汝其の大きに造る績を建つこと得たり」といふ。是の時に、大己貴神問ひて曰はく、「然らば汝は是誰ぞ」とのたまふ。対へて曰はく、「吾は是汝が幸魂奇魂なり」(日本書紀)
突然海から光が現れて、誰かと聞くと「私はあなたの幸魂奇魂である」と言ったわけです。自分の分身が外から現れるという、非常に不思議な物語です。神話には不思議な話が多いわけですが、それにしても不思議です。
この話が何を意味しているのか、これはいろいろな解釈ができます。また、幸魂奇魂の意味する所もいくつかの解釈があります。漢字の意味だけを見ると”幸”はしあわせな、さいわいな、という意味であり、”奇”は不思議な、霊妙なという意味でしょう。明治時代に第八十代出雲国造、出雲大社宮司であった千家尊福公は”さき”という音は岬のさき、あるいは咲くという言葉から進取の意味であり、”くし”は串という言葉から統一するあるいは貫徹するという意味であると説明されています。そして、「事業をなさんと志を固めて、がんばり続ける者を神は助けられるのである」と説いておられます。
私が思うところは、この神話は自分の中の力を信じなさい、という話なのではないかということです。進取の精神を持って挑戦し、またその大きな志を貫徹する時に、自分の中の幸魂奇魂を信じて頑張ることが大切なのです。目標が大きいほどなかなかうまくいきません。しかし、そんな時でも心が折れてしまわないように、自分の中にある力、そして自分自身を信じましょう。またそういう人間を神は応援してくださるでしょう。
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<このページの筆者>
中島隆広 : 出雲大社紫野教会、教会長
昭和46年京都府生まれ。名古屋大学経済学部卒業、会社員の後、パソコン部品のインターネット通販の会社を起業して経営する。会社売却の後、國學院大學神道學専攻科に入学し、神主となる。
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