自分のために神社参拝ができる今の時代はありがたいですね

自分のためだけに神社参拝できるありがたさ

 現在は経済的に豊かになりましたし、交通機関も発達していますので、日本のどこの神社でも行こうと思えば行くことができます。もっとも、お金が掛かりますから、遠くに行くのは簡単ではありません。出雲大社に行くにしても、関西や九州からだと泊まりになりますし、関東からだと飛行機に乗ることになりますし、北海道や東北の人は飛行機乗り継ぎとなって、かなりお金が掛かりますから、そう気軽には行けません。しかし、昔の人はもっと大変でした。

 今はすっかり聞かれなくなりましたが、講(こう)というのが全国各地にたくさんありました。講は同一の信仰をする人の集団です。対象は田の神や海の神のような自然信仰であったり、または特定の神社や寺院、あるいは山岳であったりしました。
 神社を崇敬する講は、特定の日に集まってお祭りをしたり、神社への参拝を行いました。参拝は全員参拝の場合もありますが、多くの場合は一部の人間だけが代表して参拝しました。

 香川県寒川郡というところにあった、出雲大社の参拝講の資料が残されています。江戸時代に百余名の人間で結成された講ですが、明治二十六年に出雲大社へ参拝した時の記録が詳しく残されています。参列したのは二十一名。講の全員ではありませんでした。香川から出雲までの行程は、瀬戸内海は汽船ですが、それ以外は徒歩です。ですから、体力のある元気な人間しか参加できません。参拝者の平均年齢は三十一歳でした。
 出雲には三日間滞在しましたが、それも含めて出発から帰還まではなんと十六日もかかっています。今は瀬戸大橋も架かり、高速道路も出雲まで届きましたので、自動車で片道四、五時間です。日帰りも可能ですから、随分と変わったものです。
 そんな大変な旅行ですから、一生に一度という人もいたことでしょう。ずっと熱心に信仰してきて、初めて出雲大社にお参りする、そして二度とはないかもしれない。そう思うと、まさしく夢のようなものに感じられたのではないでしょうか。
 さらに、講を代表して参拝ということですから、自分だけの参拝ではありません。行きたくても行けない他の講員の祈りも届けなくてはならないのです。責任を感じての参拝だったことでしょう。

 自分だけ、あるいは自分の家族だけ、友達とだけで参拝できるというのは非常にありがたいことですし、お金の問題はあるものの、思った時に行ける今の社会は本当にありがたいものであると思います。

 私は現在はお祭りの参列や会議などで一年に五、六回京都から出雲に参ります。出雲大社に参拝し、教会員を代表してありがたいとの感謝の念を捧げます。しかし、年にそれだけの回数となると、どうしても慣れのようなものが生じてくるのは否定できません。そんな時、私は遥か遠くから時間を掛けて出雲大社までお参りに来た昔の人たちに思いを馳せるようにしています。

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<このページの筆者>
 中島隆広 : 出雲大社紫野教会、教会長
昭和46年京都府生まれ。名古屋大学経済学部卒業、会社員の後、パソコン部品のインターネット通販の会社を起業して経営する。会社売却の後、國學院大學神道學専攻科に入学し、神主となる。

★教会長中島の本が出ました!
 日本人が伝えてきた心、そして生き方を、神道、神さまの話を中心としつつ、語った本です。相当な時間を掛けて作り上げました。ぜひ一度お読みください。

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